こんにちは。
今日は『道徳の問いは「矛盾」から始まる』というテーマで
お話しします。
道徳の授業で、
子どもたちに問題意識をもたせることは、
授業者を悩ませるムズカシイ課題です。
考える必要感がなければ、
子どもたちは当然授業にのってこないでしょう。
そんな興味を高める導入は、多くの実践があります。
しかし、道徳の授業で「考えたい!」と、
子どもが思うような導入になっているのか、
いささか疑問が残る実践もあります。
今日は、「矛盾」という観点で道徳の導入、
そして展開まで使える思考をお伝えします。
目次です。
順に説明します。
1 矛盾の例
学校には、様々な矛盾があります。
知らず知らずのうちに、私たち教師も、その矛盾の渦の中にいます。
例えば、次のような例です。
『人を見た目で判断しない』と指導しますが、
『身だしなみに気を付けよう』とも指導します。
見た目を整えることのメリットって何でしょうか?
本当に必要なのでしょうか?
社会通念上必要だから、とか
きまりだから、とか、
失礼だから、
という借りてきた言葉ではなく、
「なぜ身だしなみを整えることが必要か。」
あなたは説明できますか?
他にもあります。
『人に会ったらあいさつをしよう』と学校では常々指導をしますが、
『コンビニで店員さんに挨拶をしない』という教師・子どもの日常があります。
おかしいですね。挨拶は、人に会ったらするものですよね。
ということは、コンビニ、スーパー、レストランなどの店員さんが
「いらっしゃいませ。」「こんにちは。」と言ったら
当然のように挨拶を返すはずですよね。
「私はしているよ。」と思ったあなた。
私『は』ですよね。
つまり、「ほとんど全員がしていないけど、私はしている。」と、
基本的には店員さんには挨拶をしないものだ、という考えの上に立っていますよね。
いずれにしろ、ここにも、指導の矛盾があるということです。
もう1ついきましょう。
『みんな仲良くしましょう』と指導をしますが、
『個性を大切にしましょう』とも指導をします。
一見、矛盾がなく、両者は関係がなさそうですが、
仲良くするためには、「折り合い」が大切になってきます。
例えば係を決めるときに、定員以上の希望者がいたとします。
みんなで仲良くするためには、話し合いか、平等にじゃんけんで決めることが日常でしょう。
しかし、そこに個性という観点が入ると変わってきます。
「声が大きい」
「早口でしゃべる」
「頑固」
「相手のことを思いやる」
そんな個性をもった子たちは、ぶつかるでしょう。
もしくは、平等に決める過程を歩まないはずです。
このように、学校現場では、矛盾がたくさんあるのです。
この章を読んで、
「あれ?」
「確かにそうかも。」
「なんだか違和感がある。」
と思ったあなた。
それが、道徳の授業づくりの始まりですよ!
2 道徳的矛盾を聞く
では、道徳ではどのように矛盾を授業に組み込んでいけばいいのでしょうか。
基本は「へりくつをこねる」です。
教材に対して、
「本当にそうか?」
「○○した方が楽じゃないか?」
と批判的思考で読み、
へりくつをこねるのです。
もっとざっくりとした言い方をすると、
教材にツッコミを入れるといいのです。
例を出しましょう。
3年生「泣いた赤鬼」では、
青鬼が自分を犠牲にして、赤鬼の幸せを願います。
しかし、本当にそれが友達のすることでしょうか?
本当に赤鬼と青鬼が友達であれば、
人間と仲良くできる方法を一緒に考えてあげる方が
よりよい解決になったのではないでしょうか。
「こうすればよかった」などと方策を議論することが道徳ではありませんが、
このように立ち止まって、別の選択肢があったとしたら・・・・と矛盾を見つけ、
ツッコミを入れることで、見え方が変わってきます。
「泣いた赤鬼」は名作中の名作であり、感動的な教材です。
だからこそ、青鬼の自己犠牲の尊さを教える授業になってしまいがちですが、
それでは「友情」に対しての矛盾をツッコめていません。
授業者が批判的な読みをすることで、矛盾を暴き、
導入へと昇華させていくのです。
「泣いた赤鬼」の例では、
Q:友達ってどんな人?
Q:自分のことより相手を優先するのは、友達と言える?
Q:いつも一緒にいることだけが友達かな?
と、赤鬼と青鬼の友情と、現実の日常を比べて、問います。
導入では、「うーん、なんだか違う気がする。」という
一種のモヤモヤをつくることがゴールと言えます。
そのモヤモヤが、話し合いで納得解に変化することで、
「道徳は楽しい!」という気持ちになるのです。
3 道徳的矛盾が思考を生む
「道徳的矛盾」は私の造語ですが、
この矛盾を見つける目を養うことが、とても大切です。
現実世界は、
「いいこと」と「悪いこと」の2つに分かれるものばかりではありません。
先ほどの赤鬼と青鬼の関係も、
一緒に作戦を考えることは1つの友情のありかたですし、
青鬼が自分を悪役にして赤鬼のために悪さをしたことも1つの友情です。
Q:赤鬼と青鬼は、友達だと言えるか。
この問いは、「はい」「いいえ」の2択で簡単に語れる者ではありません。
その2つの間に、もっと多くの選択肢があり、
その選択肢を言語化する思考の煩雑さを、
「はい」「いいえ」の2択の問いは、一気に消し去ってしまうので、
授業者も子どもも楽なのです。
だから、人は2択で答えを出そうとしてしまいがちになるのです。
人生は、多くの選択肢があります。
「はい」「いいえ」の2択ではなく、
その間には多くの選択肢があるのです。
選択肢を色に例えると、
2色ではなく、グラデーションなのです。
日常生活において、矛盾はつきものです。
その矛盾に直面したときに、
どのような思考をして、決断をするか。
その思考力・決断力は、道徳の話し合いによって育つのです。
その話し合いを生むのが、
今日お話しした道徳的矛盾なのです。
導入だけでなく、主発問を作る上でも使える矛盾という考え方です。
教材の世界に入り込みすぎず、
お笑い芸人のようにツッコミを入れながら読むと、
新しい発見があるかもしれません。
それが、多面的・多角的な見方なのです!
はい、ということで、
今日は『道徳の問いは「矛盾」から始まる』というテーマでお話ししました。
1 矛盾の例
2 道徳的矛盾を聞く
3 道徳的矛盾が思考を生む
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