仕事術

【時短の思考】指導書は不完全

指導所は不完全

こんにちは。
今日は、『【時短の思考】指導書は不完全』
このテーマでお話しします。

現場にいる先生なら分かりますが、
教室には、いわゆる「先生用の教科書」として、
「指導書」があります。
朱書き(しゅがき)とも言われます。

発問や答え、授業の流れが書いてあるので、
それがあれば一応は授業に困ることはありません。

しかし、「一応」です。

なぜか。
それは、指導書は不完全だからです。
教科書会社が作る先生用の指導書が、不出来だと言っているわけではありません。
現場の先生、特に若い先生を助けるためには有効なツールだからです。
かくいう私も、かなり助けられました。

この記事を読んでいるあなたには、さらにワンランク上の教師になってほしいので、
あえてお話しします。

指導書は不完全です。
なぜなら、教科書は基本的に全国どこで使用されてもいいように、
平均的な流れや発問、板書計画が掲載されています。
それはある意味では、「無難」なものということです。
どこでも通用するものは、どこか借り物の、味気ない授業になるのです。

授業の計画は料理のレシピと例えられることもありますが、
私は、授業計画はレシピとは全く異なるものだと考えます。
レシピは、書かれてあるとおりに材料を切って、分量を間違えなければ、
同じ味が表現できるでしょう。

しかし、授業は違います。
同じ教材を扱っても、目の前の子どもが違います。
当然、子どもが発する意見も違います。
もっというと、授業者も違うので、
発問もニュアンスが違えば、大きな違いになります。
指導書に書かれているゴールの姿とは、かけ離れたものになるのです。

「ええ、じゃあどうすればいいの。」

指導書は無難と言いました。
指導書はあくまで参考程度にとどめておき、
そこから授業者なりのアレンジを加えればよいのです。
アレンジというと、何か新しい実践のように感じますが、
要は「指導書から外れてもいいという発想をもつ」ということです。

指導書はあくまで、全国平均の設計図です。
指導書通りにしても、うまくいかないのは当たり前です。
うまくいったら、それはプログラムされた機械です。
子どもは機械ではないですから、
こちらの想定外の思考をするのは当たり前です。
指導書の後半に書かれている授業の展開は、
あくまで一例です。
その展開しかない!と指導書から外れてはいけない思考をもっていては、
子どもの柔軟な思考を受け止めることはムズカシイでしょう。
指導書の文字ではなく、子どもの意見を聞く。
そんな当たり前のことが、実際の授業ではとたんにできなくなってしまいます。
それは、実力不足でも経験不足でもありません。
パラダイムシフト(考え方・価値観の転換)をすればよいのです。

指導書をベース、もしくは参考程度にして、
あとは、目の前の子どもを見て、
導入、発問、板書、展開、まとめなどに
血を通わせるのです。

それが、指導書の本来の使い方です。

この記事は、道徳を想定して書きましたが、
道徳という言葉を使わず、
他の教科でも共通なことですので、
他教科でも使える思考になるようにしました。

はい、ということで今日は、
『【時短の思考】指導書は不完全』というテーマでお話ししました。

今だからこそ、道徳の授業に取り組んでいきましょう!