今日は自粛という言葉について、道徳の視点から考えます。
自粛ムードが高まったと思ったら、
緊急事態宣言が一部の自治体で解除・緩和され、
同時に自粛ムードがやや解かれてきたように思います。
2020年の連休は、観光名所や娯楽施設の各所で人手がなく、閑散としていました。
経済的な損失は計り知れませんが、人命がかかっていると思うと、やむを得ない決断と言うべきなのでしょうか。
さて、今日は「自粛」という言葉は、道徳的にどのような価値があるのかを考えてみましょう。
休校明けに学校が再開されると、この新型ウイルスに関する一連の社会の動きについて、学習として扱うこともきっとあるでしょう。
道徳でも、充分に噛みごたえのある内容つまっています。
道徳的な観点から、「自粛」という言葉について考えていきましょう。
今日の流れです。
1 自粛の意味
「自粛」の意味を辞書で調べてみると、
[名](スル)自分から進んで、行いや態度を慎むこと。
とありました。
「自」は「自ら(みずから)」とも読みますので、自分の意志から出た行動、
つまり自主的な行動ということです。
しかし、今回の自粛ムードは、どこか政府から強制的に「外出は控えなさい」と言われている気がします。そうなると、「自分から進んで」という部分は、ないがしろにされている気がします。
確かに、感染の拡大防止の観点から、今まで当たり前のように出かけていたことを見直すいい機会にはなりました。
しかし、「自粛」というからには、自分が必要と感じてそうすることが必要なのではないか。「自粛しましょう」と他人から言葉を投げかけられることは、本来の意味からすると、おかしいということになります。強制力をもって「自粛」と言われるのは、もはや「他粛」です。
意味も『人から言われて、行いや行動を慎むこと』となるでしょう。
自粛とは、自分が必要と感じて、主体的に活動することを言うのです。
2 自粛の内容項目
「自粛」は、多くの内容項目を含んでいます。これほど、道徳的な価値がつまった事象は、授業でぜひ取り上げて、子どもたちで意見を出し合い、視野を広げたいところです。
私なりの解釈をお伝えします。
・節度・節制
なんと言っても、まずは節度・節制が思い浮かびます。
自らの行動を節度をもって、節制する。自粛とは、不要不急の外出を控え、家で過ごすことでした。これまでの自分の行動を振り返り、必要だったのか、不要だったのかを自問自答し、不要だと思った行動は我慢をする。これは、節度・節制に当てはまります。
ちなみに、節度と節制はよく似た言葉ですが、明確に違います。簡単にいうと、節度はルール、節制はルールを守ろうとする心です。いずれも、この自粛ムードのときに、無意識に行動として表した人が多いでしょう。
・親切、思いやり
自粛ムードで外出を控える人が多かったです。これは、外出をすることで自分が感染するリスクを予防することが一番のねらいです。その後、こんな言葉がメディアで呼び掛けられました。
「自分が感染していると思って、行動しましょう。」
これは、新型コロナウイルスが比較的重症化しにくい若い世代が、実はもう感染していて、外出することで、重症化リスクの高い高齢者や基礎疾患のある方にうつるのを防ぐことが大きな意味で伝えられました。
自分が行動することで、大切な人を感染させるかもしれない。
自分が行動することで、感染が拡大するかもしれない。
身近な人や特定の人のことを思って、自ら「外出しない」という選択をしていることは、
親切な行為であり、その行為には思いやりがつまっています。
親切、思いやりの観点から、コロナ禍の一連の流れを見てみると、ニュースの見方が変わるかもしれません。
・国際理解
このコロナ禍の大規模な動きは、日本のことだけでなく、世界中を騒がせる事態となりました。
そして、他国の動きが報道されることで、日本以外の国について思いを巡らせることが多かったと思います。
○休校の措置
○緊急事態宣言の発出の有無
○国民への生活支援
○事業者への支援
○感染防止に向けた対策と対応
などなど
「○○の国は対応が~だ。」
「○○は感染者が多い。」
「日本は○○をしているな。」
日本(自国)と他国を比較して考える機会が、これほど多いことはまれでしょう。
そして、この流れで、忘れてはいけない大切なことがあります。
それは、
「人はみな、安心・安全で平和な暮らしをしたい。」
ということです。
各国の対応は全て、国民が一刻も早く安心で安全な暮らしができる、この一点に向かっているのです。
この基準が同じだから、他国の対策や対応を、日本と比較することができるのです。
ちなみに、国際理解の中学年のねらいは、「他国の人々や文化に親しみ、関心をもつこと」です。
まさしく!と叫びたくなるのは、私だけでしょうか。
・善悪の判断、自律、自由と責任
特に「自由と責任」でしょう。
自粛は、あくまでも個人の意思に任せられた言葉です。
自粛ムードが高まっている中、河川敷でバーベキューをしたり、海水浴をしたりしている人の姿が報道されました。
行為自体が正しいかどうかの議論はここでは避けますが、
外出するのは個人の「自由」です。しかし、感染する可能性もあるという「責任」も同時に抱えているのです。
また、「自粛警察」と呼ばれる人の存在もいます。
自粛ムードが高まる中、外出している個人や、営業している飲食店に「なぜだ」と厳しい言葉で投げかけたり、嫌がらせをしたりする人たちのことをそう読んでいます。
この自粛警察と呼ばれる人たちも、正論をぶつけるのは「自由」です。しかし、それと同時に人を傷つけたり(名誉毀損)、物を傷つけたり壊したり(器物損壊)という法を犯すかもしれない「責任」も同時にあるのです。
自由と責任は常にセットです。
その理解が十分でなければ、自由ばかりを主張し、なにか問題が起きたら、肝心の「責任」は、人や物、政府に押し付けてしまうのは、本当の自由と呼べるでしょうか?
ぜひ、子どもたちと話し合ってみたいですね。
・感謝&家族愛、家庭生活の充実
Stay Homeというおしゃれな言葉ができ、家族で過ごす時間が増えました。いつもより長く家族と過ごせるため、普段は見ることのなかった姿を見て、新たな一面が発見できたり、家族のためにこんなことをしていたんだ、と気づいたこともあるでしょう。きっと、「ありがとう」の言葉が増えたのではないでしょうか。
また、家族の絆が深まったことでしょう。
相反して、DVや虐待の報告件数が減っているという事実もあります。これは、件数が減ったという喜ばしいことではなく、むしろ報告したくても家族がいつも家にいるから通報できない、という「隠れDV」「隠れ虐待」が増加している背景があると言われています。
感謝、家族愛の側面も、考えてみたいですね。
・生命の尊さ
芸能人や著名人、一般の方の死者数が増えています。小さい頃から見ていた芸能人や、身近な人が亡くなり、命にいついて嫌でも考える機会があったことでしょう。
命ははかないものです。なくなったら戻ることはありません。亡くなった人に対する悲しみ、それと同時に今ある命のありがたみを、きっとしみじみと感じることができるでしょう。
ちなみに、高学年の生命の尊さのねらいは、「生命が多くの生命のつながりの中にあるかけがえのないものであることを理解し、生命を尊重すること」とあります。
生命の尊さについても、子どもたちと考えてみたいですね。
3 自粛と道徳
休校がいつ明けて学校が再開されるかは、未だに見通せません。
きっと、学習時間の確保と、子どもの心のケアが大きな仕事になると思います。
オンライン授業を実施している自治体がありますが、道徳は複数の友達と話し合って、価値を高めあうことで真価を発揮する教科です。オンライン授業が、将来的に学校現場に導入されたら、道徳は対応が難しいかもしれません。教師の一方的な教え込みでは、成立しない教科だからです。
しかし、上記のとおり、コロナ禍の関連する社会的な動きは、道徳的な価値をたくさん含んでおり、子どもたちと考えたいものばかりです。
今だからこそ、道徳という教科が必要だと、私は思います。
オンラインの流れに対応することは弱いけど、
社会的な流れに対応できる子どもを育てるためには強い、それが道徳です。
コロナに関するニュースなら、どんなものでもいいでしょう。1つ記事を取り上げて、どんな人が、どんな思いをして、どう行動しているのかを考える。そんな活動が休校明けに、短い時間でも取り入れられることを願っています。
この時代の転換期を、友達と学びでつながることで、乗り越える力が身に付くのです。
はい、今日は自粛と道徳というテーマでお話ししました。
比較的、時間と心に余裕のある先生は、道徳について考えてみるのも、
StayHome期間のいい過ごし方だと思いますよ!