こんにちは。今日は、
『【道徳】チョークの色を変えるのは、大事だからではない。』
というテーマでお話しします。
道徳の板書について、よく話題になります。
つかみどころのない教科と思われている道徳は、
発問や授業の展開がよく悩みのタネになります。
加えて、板書も同じぐらい、先生を悩ませるタネになっているようです。
板書について、しばらくシリーズで書いていこうと思います。
今日の目次です。
順に解説をします。
1 チョークの色は、「大事」で変えない
道徳は正解がないと言われます。
確かに、言いようによってはそうとも言えます。
ということは、板書に授業者の判断でチョークの色を変えて書くということは、
「先生が大切だと思っているところ」だと子どもにメッセージを送っていることになります。
時にはそんな場面も必要でしょうが、いつもそのようにしていると、
「私の発言は白のままだ。」
「○○さんの意見は黄色(色が変わる)で書かれた。いいことを言ったんだ。」
と、このように色を変えるということは、
暗に、子どもの発言の優劣をつけることになっているのです。
絶対のきまりではありませんが、
チョークの色は「大事」というポイントでは変えない方が、
子ども主体の板書を作り上げることができるのです。
2 チョークの色は「発言の重なり」で変える
とは言っても、白のチョークばかりだと、板書はメリハリのないものになってしまいます。
では、どういう観点でチョークの色を変えればよいのでしょうか。
ズバリ、
チョークの色は発言の重なりで変えましょう。
子どもは、大切だと思ったことは、言葉を少しずつ変えながら、
同じ事を言ってきます。
そんなとき、どう対応していますか?
私は、「なるほど。」と受け止めます。
決して、「○○さんと同じだね。」なんてことは言いません。
『その意見はすでに出ているから、もういらないよ』というメッセージを送ってしまうからです。
私は、「なるほど。」と受け止め、
板書します。
例えば、「思いやりはつながっていく」というような意見を子どもが発表したとします。
1回目 思いやりはつながる と白チョークで板書
2回目 思いやりはつながる と、1回目の発言に波線を引く(棒線しか引けませんでした・・・)
3回目 思いやりはつながる を消して、黄色で書く
つまり、3回以上発言が重なったものは、色が変わるのです。
これは、
『先生が大事だと思っている』から色が変わるのではなく、
『みんなが大事だと思っている』から色が変わったと、
子どもにメッセージを送ることができます。
これなら、先生が暗に価値観を押しつけることはないし、
子どもの発言がつながって、板書が構成されていく感じがしませんか?
3 基本的に白を使う
とはいっても、私は基本的にチョークは白しか使いません。
使っても、矢印を色分けして、
「白の矢印と青の矢印、どちらが大きいと思う?」と
話し合いの支援として使うぐらいです。
色チョークを使いすぎると、どこが大切なのかわからなくなり、
子どもも授業者も、核がぶれてしまうからです。
道徳に限った話ではないですが、
チョークは基本的に白を使いましょう。
そして、発言が重なったり、
色分けが必要なときに、必要最低限だけ使いましょう。