学級経営

「全員発表」は、すばらしいことではない。

学級経営
two men sitting in front of table

こんにちは。
今日は『「全員発表」は、すばらしいことではない。』
このテーマでお話します。

授業をするのって難しいですよね。

私も教職経験は10年を超えましたが、いつまでたっても授業が上手くなったとは言えません。
特に「自主的な発表が少ない」は、私自身の課題ですし、いつも話題にあがります。
そんな悩みをもっている人はわたしだけではないでしょう。
今日は、その悩みにストレートにお答えします。

では早速本題です。

全員が発表は無理

いきなり今日の結論ですが、1時間の授業で全員が発表することは、無理です。

そもそも、公立の小学校は同じ地域に生まれた、同じ年の子を集めた集団です。
学力や考え方に違いがあって当然です。
「こんな質問には答えられるだろう」と思って質問を投げかけても、分からない子は一定の割合で必ずいます。

それに、子ども達は集団にいると様々な心理状態になります。
「自分ぐらい手を挙げなくてもいいだろう。」
「一番に目立とう。」
「みんなが手を挙げたらあげよう。」
そんなことを思って、一部しか挙手しないのは、人間の心理として当たり前なのです。

興味深い実験があります。

働きアリは、8割のアリが働き、2割のアリはあまり仕事をしないそうです。
そこで、その2割のアリを取り除き残りの8割のアリがどのような動きをするか、観察しました。

この実験、どうなったと思いますか?

全員がもくもくと働くアリになった、と思いたいですが結果は意外なものでした。
残ったアリのうち、2割が働かなくなってしまったのです。

集団の中にいると、一定数が特定の動きをすることは、この実験から明らかです。

もう一つ例を出しましょう。
先生という職業の人は、1度は研修に行ったことがあるでしょう。
そこでは、聞くだけでなく、発表や質問をしていい時間も少なからずあります。
その時に、必ず手を挙げる、という人はどれくらいいますか?

私は正直「できれば黙ってやり過ごしたい」と思う派です。
おそらく、私と同じ考えの人は多いのではないでしょうか。

「質問ありますか?」と講師の人が聞いても、全く手が挙がらない雰囲気にいつもなるからです。

でも、おかしいですね。
子どもには「手を挙げて発表すること」をよしとして、その姿を子どもに求めています。
自分は実行していないのに、子どもに求めるのはおかしい話です。

あいさつを先生がしないのに、子どもに「あいさつをしましょう」と言えますか。
それと同じことなのに、なぜか発表だけは、自分のことを棚に上げた指導がまかり通っています。
この考えは、改めないといけないでしょう。

ヒントをもらってひらめく子もいる

世の中には、大人も子どもも「消極的」と呼ばれる子が一定数います。
そんな子は、きっと発表することは苦手でしょう。

では、消極的な子は発表をしないとなると、授業を理解していないということでしょうか?
消極的な性格の子が全員、低学力?
それはあまりにも論理が飛躍していて違うと言えるでしょう。
しかし、そうとしか思っていないような先生の授業での声かけぶりをよく見かけます。

自分の考えは自信がないから発表までは至らないけど友達の発表を聞いて、ひらめいたり、自分の考えと比べたり、きっと子どもは頭の中でいろいろと思考をしています。

聞くことで理解を深める子は、発表が苦手なこともあります。
しかし、発表しないから評価が悪い、理解できていない、という見方は、あまりにも横暴です。

新学習指導要領では「多様な見方」が求められます。
先生が子どもを見る際多様な見方をしなければ、子どもは窮屈になるだけですよね。

強制は発表嫌いを増やす

全員発表=よいことそう思っていると、
①順番に当てる
②まだ発表してない子に手を挙げさせる
などと策を用意して強制的に発表をさせる方法を用いがちです。

しかし、その目的は何なのでしょうか。
発表することで思考が活性化されると思っているのでしょうか。
子どもの立場に立って考えてみましょう。

①順番に当てられる場合

「自分は何番目に発表なのか。」
「誰の次なのか。」
「簡単な質問だといいな。」
「あの質問なら答えられた。」

子どもはそんな思考になるでしょう。
それは、学習の内容を習得することが目的ではなく発表することが目的になってしまっています。
方法が目的になってしまっては、何をしているのか分かりません。

「新幹線に乗ること」は方法であり、目的ではありませんよね。
「東京に行くこと」が目的であり、「新幹線に乗ること」はそのための方法です。

②発表していない子に手を挙げさせる場合

そのように強制的に手を挙げさせて、無理矢理に発表させても、子どもは頭が真っ白になるだけです。
期待以下の答えしか出てこないでしょう。

ここまで読んで、
「いや、それでも全員発表が大切だ。」
と言われるなら私はとめません。

仮に全員が発表したとして、学習内容を全員理解することにつながると思いますか。
「全員発表させた」という先生の自己満足感だけが残るだけではないですか。

世の中の仕組みですが、リーダーばかりの集団は崩壊します。
リーダーシップがある子がいたら、サポートシップがある子もいます。
どちらでもなく、盛り上げる子もいます。
オーディエンス役もいます。
発表の場合は、発表を数多くする子もいれば、その発表をいつも参考にして理解を深める子もいるし、少人数なら発言できる子もいます。

いろんな子がいるから、学級は面白いのです。

発表を全員することが素晴らしい授業

その謎の俗説から、そろそろ抜け出しませんか?

はい、今日は『「全員発表」は、すばらしいことではない。』
このテーマでお話しました。