こんにちは。Kishです。
今日は「道徳 D『感動』はこう考える!」
このテーマでお話しします。
道徳の授業づくりで,一番困るのはDの視点ですよね。
Dは生命の尊さ,感動・畏敬の念など,
聞いただけで「難しそう」と思ってしまいます。
今回は特に「感動」にスポットを当てて,
道徳では「感動」をどのように捉えればよいのか,
理論的な話を俗っぽくします。
結論を言うと,
道徳で感動させるのではなく,感動を生む心について考えよ!
詳しく説明していきますね。
目次です。
・感動って何?
・道徳ではどう扱うの?
・全米が本当に泣いた?
・年をとると涙もろくなる?
ではいきましょう。
感動って何?
感動って日常生活でよく使う言葉ですが,
感動とはどういう意味ですか?と聞かれ,
即答できる人は少ないのではないでしょうか。
広辞苑には次のようにあります。
感動[名](スル)ある物事に深い感銘を受けて強く心を動かされること。
なるほど。
心が動くことが感動なんですね。
[道徳ではどう扱うの?
これを聞くと,このように思ってしまいます。
「じゃあ道徳の授業ではみんなが『感動』の気持ちを実感としてもてるように,感動できる授業をしよう!」
うーん,そっちの方向ではないんです。
意外と間違われやすいのですが,
道徳の授業で感動させることは,
正解ではありません。
感動するよりも,
感動を生む心について考えることが,
道徳では正しい道なのです。
全米が本当に泣いた?
映画のキャッチコピーで次のような言葉をよく聞きます。
「全米が泣いた」
これは、アメリカ全国民が泣いた,とイメージさせるとこで,
感動する作品であるとアピールすることがねらいです。
しかし,冷静によく考えてみましょう。
本当にアメリカ全国民が泣いたのでしょうか?
アメリカの人口は3億2775万人(2018年5月時点「外務省HP」より)です。
日本の約3倍。
約3億人の全員が泣くことなどありえるのでしょうか。
ここまで考えると分かりますよね。
そんなことはありえません。
商用キャッチコピーの概念と,道徳の定義は異なるものだという議論は、
ここでは触れません。
シンプルに,言葉から受ける印象から考えます。
「全米が泣いた」という言葉から,
「全員が泣くわけない」ということが考えられるという話をしました。
では,なぜ全員が泣くわけないのでしょうか?
答えを言います。
人によって価値観が違うからです。
例えば,夕映えの富士山のような美しい景色を見た時,
感動して涙が止まらない人もいれば,
全く何も感じない人もいます。
ベストセラーと言われる感動巨編の小説も,
読んだ人全員が感動したかと聞かれたら,
「感動した人が大半」という程度でしょう。
何が言いたいかというと,
「同じことを同じ状況で見聞きしても,感動するかはその人次第。」
ということです。
ということは,
先ほど述べた道徳の時間に子どもを感動させて,実感を伴って感動を理解させる
ことは,到底不可能と言うことです。
さらに,言いましょう。
年をとると涙もろくなる?
NHK「チコちゃんに叱られる」というバラエティ番組で,
次のような話題が取り上げられていました。
「年をとると涙もろくなるのは,脳のブレーキがゆるくなるから。」
これは面白い結論ですよね。
実体験から納得の方も多いと思います。
では道徳の話に近付けるために,
もう少し詳しく考えてみましょう。
①年齢を重ねると,人生経験が増えてきます。
結婚や出産,引っ越し,転勤,大切な人との別れ,死別。
人によっては借金や離婚,相続争いなどの経験もあることでしょう。
人生の大きなイベントで,様々な感情を抱きます。
喜び,悲しみ,苦しみ,楽しさ,快楽,悔しさ,嫉妬,徒労感などなど。
経験を積むということは,感情の引き出しが増えていくということなのです。
②人生経験が増えると,類似体験が増える。
例えばあなたが教会で結婚式をしたら,
同じように教会で結婚式を挙げた人の気持ちはよくわかるでしょう。
その教会の大きさが違っても,予算に差があっても,
教会で式を挙げた人の気持ちは,大差はありません。
また,「結婚をした」という事実から,
教会でなくても,神前式や人前式で結婚した夫婦,
式を挙げない夫婦の気持ちも,分かるでしょう。
もっというと,結婚するということは
「付き合っている」状態を経ているでしょうから,
カップルのモヤモヤした気持ちも分かることでしょう。
このように,同じ事実1つだけをとってみても,
いもづる式に類似の体験が増えてきます。
③類似体験が増えると,共感できることが増える。
類似体験が増えるということは,
相手の気持ちを疑似体験しているということです。
疑似体験をすると,人の感情を自分事のように捉えることができます。
それを人は,「共感」と呼びます。
④共感できたら感動はイコール!
共感できたら,感動することも往々にしてあるでしょう。
なんせその人の辛い気持ちや,悲しい気持ちを分かってあげられるのですから。
そして,脳のブレーキが弱くなっているのですから(笑)
感動したら涙を流すのは,時間の問題でしょう。
このように,年をとると涙もろいのは,
相手のことを共感的に理解しているからなんですね。
では,子ども達はどうでしょうか。
「共感させて,感動させるぞ!」と思っていても,
そもそも人生の経験が少ないです。
生まれて10年前後の子ども達。
経験が少ないのは当たり前と言えます。
大人と同じように考えて,
「いい話を読めば,純粋な子どもだから感動するでしょう!」と思っても,
そううまくはいきません。
なんせ経験が少ないのですから,
類似体験が少なく,
共感できることが少ないのです。
子どもが全員感動することは難しいでしょう。
最初にも言いましたが,
道徳で感動させるのではなく,感動を生む心について考えよ!
ということです。
じゃあどうやって
「感動を生む心について考える」授業をすればいいの?
それはまた次の機会にお話しします。
今日は「道徳での感動の考え方」についてお話ししました。
では,今日はここまで。
また次回をお楽しみに!