特別の教科 道徳

【道徳】D「感動」の授業の作り方

こんにちは。Kishです。
今日は『D「感動」の授業の作り方』
このテーマでお話しします。

道徳の授業って難しいですよね。
特にDの視点は,
よくわからないまま授業をしている人が
多いのではないでしょうか。

今日は定番教材「幸せの王子」を例にして,
授業の作り方を説明します。

今日の目次です。
・ゴールまでの道を太くする
・言葉にすると安っぽいものばかり
・発問の例
この流れでお話します。

本題に行く前に,
皆さんは「幸せの王子」の内容を知っていますか?
この教材を載せている会社は,
東京書籍,学校図書など複数あります。

内容を確認しておきましょう。

ある町に,金色の銅像が立っていました。
体は金箔で覆われ,目や刀には宝石が埋め込まれています。
町の人はその銅像を「幸せの王子」と呼んでいました。
ある日,その王子のもとに旅の途中のツバメがやってきました。
王子は泣きながら,ツバメに頼みました。
「貧しい若者が見える。
私の目の宝石を持っていってあげておくれ。」
その後も,ツバメは王子に頼まれ,
宝石や金箔を貧しい人に運び続けました。
もう届けるものがなくなり,
最後はツバメも王子も力尽き,
天へと昇って行きました。 

まさしく「感動」と言える話ですね。
では,内容を確認したところで,
本題にいきましょう。

ゴールまでの道を太くする

Dの内容項目は,
「価値の広がりを目指す」
ものではありません。
A~Cの内容項目は,広がりを目指すものです。
例えば,親切は「何かをしてあげること」だ
と思っていた子どもたちが,
授業で議論をすることで,
「何もしない親切もある」と気付いたら,
それは見方が広がったと言えるでしょう。

しかし,Dの内容項目はそのような広がりは
ほとんど期待できません。
そもそも抽象的なものが多く,
議論で広がったとしても,
さらに抽象的なものになってしまうからです。
そうなると,余計に
「道徳は難しい!」と考える
子どもや先生を増やすだけです。
そうではなく,Dだけは,
ゴールまでの道を太くするイメージで授業をしましょう。

「幸せの王子」の例では,

感動すること自体は素晴らしい。
では,感動以外にどんなことを感じるだろう。

と聞いてしまうのは,広がりを求めていることになります。
感動は感動,それ以外の感情はないのです。
感動した事実,それだけで充分ですし,
疑いようのないゴールです。

授業では,この後に例示する発問を子どもに伝え,
感動という感情に行きつくまでの道のりを太くします。
「感動は素晴らしい。」と簡単に思っていたことを,
「人は○○に感動する。
それは,受け止める人が~という心をもっていて,
□□と合わさったからだ。」などと,
感動を生む心について探り,
その過程を言語化するのです。
それが、「ゴールまでの道を太くする」ということです。

言葉にすると安っぽいものばかり

Dの内容項目は,言葉にすると安っぽいものです。
例えば以下のとおり。
「命は大切」
「美しいものに感動する」
「自然は大切」

これを見て,どう思いますか?
「知ってるわ!」と
ツッコミを入れたくなりませんか?

そうです。
これがDの内容項目の難しいところです。
授業をしても,上の結論は変わりません。
しかし,授業で子ども達が議論をすることで,
その中身が深くなるのです。
先ほどお伝えした
「ゴールまでの道を太くする」ですね。

では,なぜDは言葉にすると安っぽいのでしょうか。
それは,Dの内容項目は
「言葉にできないもの」だからなのです。

なぜ命が大切なのか,言ってください。
と聞かれたら,あなたはなんと答えますか?

親からもらった大切なものだから。
先祖からつながっているから。
未来へつながっていくから。
命がなくなると何もできなくなるから。

など,人によって異なるでしょう。
でも,命は大切であるという結論は変わりません。
揺るぎない真実であるからです。

命は大切

この結論に,これ以上の広がりはないわけです。
つまり,どれだけ議論しても
これ以上の結論はでません。
つまり,言葉にすると安っぽいものなのです。

「じゃあ議論する意味はないのか?」

いえいえ,先ほどあなたは考えました。
命はなぜ大切なのか。

親や先祖,未来など多くの視点から命を見ていました。
その視点を増やすことが,
道徳の授業でするべきことなのです。

「幸せの王子」では,
「王子の心が美しい。」
という結論ありきで話が進みます。
王子の心は美しいものですし,
その心に感動しています。
それ自体は,疑いようのない事実なのです。
では授業ではどうするか。

お分かりですね。

なぜ,王子の心が美しいと感じるのか。
その感動という水は,
心のどこの源泉から出ているのか。

それを議論するのです。

なんとなく
道徳の授業づくりが見えてきたでしょうか。

ここまで、
Dの内容項目は
言葉にすると安っぽいものばかりなので,
ゴールまでの道を太くすることが大切
ということをお話してきました。

発問の例

なんとなく,授業のイメージは見えてきたでしょうか。
ここからさらに具体的に考えるために,
発問の例をあげます。
それぞれの発問について解説はしません。
先生が授業をする際に,
「聞いてみたいな」と思うものを採用してください。
全ての発問をするというわけではありません。
主となる発問が1こ,
展開によって聞く補助発問が2~3こ
あればよいでしょう。

・王子は幸せだったのだろうか。

・王子が届けたものは,何だろう。

・宝石や金箔ではなく,食べ物やお金を届けたほうがよかったのではないか。

・つばめは幸せではなかったのではないか。

・なぜつばめは残ったのだろうか。

・なぜ,王子は今まで町の人を助けなかったのだろうか。

・王子の心はきれい? 美しい?

・王子とつばめ,同じ心はなんだろう。

・王子とつばめ,心のちがいはなんだろう。

・つばめが来るまで,王子はどんな思いで町の人を見ていたのだろう。

・王子はそこまでする必要があったのだろうか。

・つばめを巻き込んで,王子は自分勝手ではないか。

・なぜ,この王子の銅像が建てられたのだろうか。

このような発問の例が考えられます。
いかがでしょうか。
もう一度言います。
先生が「聞いてみたい」と思う発問を選んでください。
「聞かないといけない」ではありません。

どの発問も,予想される答えを考えて見てくださいね。
私もそれぞれ予想される答えはありますが,掲載しません。
それは,
集団が違えば,出る意見も違う
からです。

この発問をして,〇〇と言わせよう
このような考え方では,
子どもの考えを狭めるだけで,
何も楽しくありません。

そうではなく,
「これを聞いたら,どんな反応が返ってくるだろう。
予想を越えてくることは間違いない。」
そんな考えをもって,授業に臨んでください。
そうするときっと,道徳が楽しくなるでしょう。
くれぐれも,予想される発問に
先生の考えがしばられることのないようにしてくださいね。

そんな授業の展開ができると,
次の悩みが出てきます。
「子どもたちの意見を,
どうやってまとめたらいいんだろう。」
それについてはまた,違う記事で書きますね。
参考に過去の記事をどうぞ。

今回は『D「感動」の授業の作り方』についてお話ししました。
いかがだったでしょうか?

また次回をお楽しみに!