今日は、道徳の授業づくりの基本的な考え方の話です。
道徳の授業づくりはムズカシイと、よく言われます。
・正解がないけど、教えないといけないことはある。
・何が授業のゴール(まとめ)なのか分からない。
・適切な発問は何なのか分からない。
・そもそも、心なんて見えないからムズカシイ。
・考えを文章で上手に書ける子が、道徳性が高まったと考えていいのか。
いろいろな悩みがあることでしょう。
今日の話は、ひょっとするとそれらを一挙に解決するかもしれません。
特に、「まとめ」の部分に特化してお話しします。
庭の犬より牧場の羊!というよく分からないテーマでお話しします。
目次です。
①まとめは、おぼんのようにとらえる
まとめをするために、教師は懐(ふところ)を深くもっておきましょう。
特定の言葉に固執すると、その言葉が出るように子どもの思考を誘導してしまいます。
お盆のように広くまとめをもっておいて、
どこに子どものまとめが着地しても、よしとします。
例えば、「親切、思いやり」についての授業をするとしましょう。
今回扱う教材では、
『親切は、いろいろなところでつながって、広がっていく。
だから進んで親切にすることが大切。』
という価値を押えたいと考えました。
では、実際の授業ではどうやって子どもとこのまとめに向かいますか?
「親切にするとどうなるの?」
「親切はどうやって広がりましたか?」
「親切がつながって、どうなっていますか?」
と問い、
『親切は、つながる、広がる』というキーワードを子どもに言わせようとしてしまいます。
しかし、それでは子どもは、適切に思考をしているとは言えません。
「先生の求める言葉探し」になってしまい、道徳の授業の活動とは離れていってしまいます。
道徳は正解がない、と言いながら「広がっていく」という発言が子どもからあったら、
思わず「正解!」と言ってしまいかねません。
これでは、子どもは道徳の授業が面白くないし、
子どもの個々の思考のよさを引き出すことはムズカシイでしょう。
そこで、道徳はまとめを「おぼんのようにとらえる」とよいでしょう。
先ほどの例でいくと、
『親切は、いろいろなところでつながって、広がっていく。だから進んで親切にすることが大切。』
という結論は、あくまで教師がもっている言葉であり、子どもはこの言葉では理解できないかもしれません。
子どもは、価値に気付いたら、自分なりの表現をしようとします。
例えば、「つながる、広がる」を子どもが次のようにイメージして発表してきたら、どう思いますか?
・親切は「水に入れた絵の具」のように広がる。
・親切は「思いやりのリレー」 私もバトンをもっている。
・親切は、積み木のように重なっていく。そして思いやりのタワーができる。
・親切は、心の握手だと思う。
どうでしょう。「つながる、広がる」という大人の言葉よりも、
子どもが理解しやすい例と言葉で表現したものの方が、
子ども同士の理解や気付きは進むと思いませんか?
そして、授業中や振り返りでこのような発言が聞かれたら、道徳って楽しい!と思いませんか?
授業者は「親切はつながる、広がる」という
ざっくりしたまとめだけをおぼんのようにもっておき、
子どものまとめは、そのおぼんのどこかに着地すればよいのです。
ど真ん中の言葉がくるかもしれないし、
端っこの「ギリOK」というまとめの言葉になるときもあるでしょう。
しかし、おぼんに着地させるようにまとめをしていけば、焦ることはありません。
子どもは結局は、授業のレールからは外れにくいですから、
迷いながら、寄り道をしながらも、
道徳的な価値に気付いて発言をしてくるのです。
子どもの世界に身を任せると、素敵な授業ができますよ!
②まとめは、子どもをクサリでつながない
悪いまとめは、まとめの言葉を言わそうとして、子どもを枠にはめ込むことです。
まるで、クサリにつながれて、一定の範囲しか行動できない庭の犬のようです。
授業者は、クサリをもっておけば想定外の言葉や思考は、
子どもからは出にくいですから、非常に管理しやすい授業となるでしょう。
そして、教師が想定したとおりのまとめの言葉が出るのです。
果たして、それはだれのための授業なのでしょうか。
先生が用意したレールを子どもは走っただけ。
子どもにとって、道徳的な学びはそこにあるのでしょうか。
クサリでつながれた犬は、長年その環境に慣れると、
クサリを外されても自由に動けることを忘れ、
これまでのクサリでつながれていた範囲でしか行動できなくなるという研究結果があります。
子どもの思考も同じことが言えるでしょう。
授業者が子どもにクサリをつないで、道徳の思考を求めても、
それは表面上の授業という形式を整えただけであり、
子どもの学びは、実は少ないのかもしれません。
子どもをクサリでつながない、と考えると、
ちょっと気が楽になるかもしれません。
③まとめは、柵を用意する
では、よいまとめに向かうにはどのようにすればよいのでしょうか。
おぼんのようにとらえるのは、まとめの言葉の話です。
そのまとめに向かう過程では、思考の「柵を用意する」ことを意識しましょう。
まるで、牧場の羊のように。
教師が「○○はどういうことだろう?」という広い意味の発問を投げかけます。
それが、子どもの思考の方向性を示していることになり、それがここでいう『柵』になります。
あとは、子どもはその柵の中で自由に思考をします。
牧場の羊は実に様々な動きをします。
牧草を食べる、仲間と毛繕いをする、ぼーっとする、昼寝をする、などなど、
羊によって様々な動きをします。
それは子どもの思考も同じです。
柵さえ与えられれば、この中では自由に考えてよいのですから、
子どもは独創性を発揮します。
先ほど例にあげたような「思いやりはリレー」という言葉も、
自由な柵の中から生まれるのです。
「柵を与えることは、考えを制限していることにはつながらないのか?」
ここでいう『柵』は、「子どもが考える方向性を示すもの」だと考えます。
また、自由と言っても子どもが無茶な発言をしない「学習規律」の意味も含まれます。
『柵』という一定のルールがあると、子どもは安心をします。
授業と学習の秩序が保たれるからです。
はい、ということで「道徳は、庭の犬より牧場の羊!」についてお話ししました。
『クサリ』なのか、『柵』なのか、どちらかに重きを置いたとしても、
表面的な授業の様子はあまり変わらないかもしれません。
しかし、授業者が、『クサリ』から『柵』へと考えを転換するだけで、
子どもの発言を受け止める懐の広さが変わってきます。
懐の広い先生は、子どもの発言を子ども目線で聞けます。
懐の広い先生は、柔軟に授業を展開することができます。
懐の広い先生は、子どもが安心して発言する雰囲気を作ることができます。
道徳のまとめは、『おぼん』、『柵の羊』をイメージしてみてくださいね!