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道徳に場面絵は必要?

特別の教科 道徳

こんにちは。
今日は『道徳に場面絵は必要?』
このテーマでお話をします。

道徳の教材の資料として、教科書の場面絵を拡大印刷して貼ることがあります。

学校によっては、道徳コーナーを職員室の一角に設けてアーカイブスとして保管していることもあるでしょう。

あえて言います。

場面絵は、気を付けて使いましょう。

理由は3つです。

①子どもの思考の幅を制限してしまう。

②既定路線に子どもを当てはめる思考になってしまう。

③板書スペースが狭くなる。

順番に解説します。

①子どもの思考の幅を制限してしまう。

場面絵は、読んで字のごとく、場面を切り取って絵にしたものです。

教科書の場面絵は、重要と思われる場面を抽出して、3~5枚の絵が描かれています。

子どもが教材を読んだときに内容が頭に入りやすくするための支援として、場面絵はとても大切です。

場面絵があるから、子どもの興味や関心も高まります。

文章の理解が不十分でも、場面絵を見て理解できる子どももいることでしょう。

しかし、話し合いの段階で、場面絵を提示すると、意味が少し変わってきます。

場面絵は動きません。

ということは、場面絵を黒板に掲示すると、子どもはその場面を中心に思考をします。

教師が発問をしても、場面絵で切り取られた瞬間を中心に考えてしまいます。

もちろん、大切な場面が「場面絵」になっているのですから、場面絵を中心に考える活動は大切です。

ですがその場面絵から得られる情報だけで、道徳の授業を進めてもよいのでしょうか。

場面絵で切り取った場面だけが、道徳の内容項目を学べる部分なのでしょうか。

場面と場面の間の何気ない会話や雰囲気、教科書に書かれていないことを考えて、

教科書「で」内容項目について考えを深めることが、新学習指導要領の道徳では求められています。

②既定路線に子どもを当てはめる思考になってしまう。

場面絵は、授業前に用意しておくことが基本です。

授業者は、場面絵に加えて、ワークシートや発問の書かれた短冊形の画用紙を用意しておくこともあるでしょう。

場面絵は、授業の流れを作る上で、道しるべとなるので、授業者は迷いが少なく、授業のしやすさをぐっと高めるものとなるでしょう。

しかし、それは危険でもあります。

なぜかというと、場面絵を道しるべにするということは、

教材のあらすじをたどって授業を進めるとことになるからです。

果たして、教材を最初から最後までたどることが、道徳の授業では大切なのでしょうか。

あらすじを追って、登場人物の心情を考える活動は、道徳科というよりは国語科の活動に近いのではないでしょうか。

道徳は、行為について考えるのではなく、行為を生む心について考える教科です。

登場人物の中心となる場面や、子どもが考えたくなる中心場面は、必ずしも場面絵に描かれている部分とは異なるのです。

場面絵を追う授業展開では、子どもの気付きをないがしろにして、授業を進めてしまう可能性があるのです。

解決する方法としては、場面絵を用意して、授業では必要と思われるときに必要と思われる場面絵を提示します。
子どもが気になる点や注目した場面を発言したら、その部分を中心に考えたいですよね。

そうなると、せっかく用意した場面絵も、登場しないかもしれません。
それでいいのです。あくまでも場面絵は、「子どもの思考を促すツール」です。

学習を進めるためのチェックポイントではありません。

場面絵を出すことは方法です。場面絵を出すことが目的になってはいけないのです。

場面絵を出す(方法)ことで、子どもが自分事として内容項目を理解することが目的なのです。

場面絵は、作ってはいけないとは言いません。

あくまでも補助教材として準備しておき、必要があれば提示する、ぐらいの感覚でいましょう。

余談ですが、教師は、「準備したものは全て使いたくなる」という傾向があります。

せっかく時間をかけて、頑張って準備したんだから、子どもたちに見せたい、という思いがあるのでしょう。

しかし、時間をかけて作った教材がいいものとは限りません。

子どもの学びの獲得のために、必要なものを必要な時に、取捨選択して提示できるスキルが、

プロの教師には求められるのです。

③板書スペースが狭くなる。

場面絵は、小さくてもA4、大きいものだとA3サイズで印刷することが多いです。

そして、教科書に掲載してある場面絵は4~6枚ですので、

それらを全て提示しようとすると、黒板のスペースがかなりの割合を占めます。

黒板は、あくまでも子どもの思考を促すツールであり、メモの役割があります。

黒板は教師があらかじめ用意した場面絵や発問の短冊で埋まるのではなく、

子どもの意見を書いて、積み上げていくものです。

決して、きれいな板書を作ることが目的ではありません。

計画通りに板書を仕上げることができた、と研究授業などでほめたたえる場面が学校現場では時々見られますが、

きれいな板書は、子どもにとって、果たして大きな学びがあったと言えるでしょうか。

見た目はきれいではないにしても、
子どもの考えがまとまり、
時にはほとんど消して一から積み上げなおしたり、
子どもが黒板に直接考えを書いたりする板書が、
子どもたちの学びの足跡ですし、学びを獲得する一助になるのではないでしょうか。

はい、ということで今回は

「場面絵は必要?」というテーマで次の3点についてお伝えしました。

①子どもの思考の幅を制限してしまう。

②既定路線に子どもを当てはめる思考になってしまう。

③板書スペースが狭くなる。

冬休みは道徳の授業力アップのチャンスです!

本を読んだり、わたしのブログを読んだり(遠い目)して、
先生の道徳力をアップさせて、
学年の締めの3学期、
ぜひ子どもたちと積み上げる道徳をしてくださいね!

応援しています!