こんにちは。
今日は、道徳についてのテーマです。
『C 公正、公平、社会正義はこう考える!』
簡単そうで難しい、先生達を悩ます内容項目です。
「公正、公平、社会正義」(C 主として集団や社会との関わりに関すること)
目次です。
順番に解説します。
1 内容項目について
ここでは、より分かりやすくするために、教材を例にして説明をします。
教材は、3年生「同じなかまだから」です。
内容項目についての説明をした後に、
教材について続けて説明する方が分かりやすいはずです。
「同じなかまだから」あらすじ
3年生では運動会に向けて、『台風の目』という競技を練習しています。
しかし、運動が苦手な光夫がいるチームは、いつも勝てません。
ある日、光夫は指をけがして登校します。
するとひろしは、「大事をとって見学しなよ。」と言います。
とも子は、それを聞いてそうだと思う反面、モヤモヤします。
光夫は「指だから大丈夫だよ。参加できるよ。」と前向きです。
とも子は、転校した友達がつらい思いをしているという内容の手紙を思い出し、
ひろしに向かって、「同じ仲間なんだから、そういうのはよくないよ。」と言います。
光夫が入って、『台風の目』の練習に臨むのでした。
この内容項目は、いつも先生達を悩ませるところです。
前提として、公正と公平の違いについて、以下の例で説明をします。
3人とも同じ業務内容、同じ成果です。仕事の報酬としてもらったのは、
3人とも同じ金額、500円でした。
これは、公正でしょうか? 公平でしょうか?
3人とも同じ金額なので、『公平』だということは自明だと思います。
しかし、1時間で500円というのは、最低賃金を下回っているので、
適正な時給の価格とは到底言えません。
これは、公正ではないと言えます。
つまり、公平と公正は、
必ずしも一致しない場面が日常生活ではたくさんあるのです。
先ほどの例のように
①公平だけど公正じゃなかったり、
②その反対に公正だけど公平じゃなかったり、
(Aさん1000円、Bさん1500円、Cさん5000円)
③公平でも公正でもなかったり、
(Aさん100円、Bさん50円、Cさん0円)
など、公正と公平が同居しないことは、社会ではよくあります。
では、教材「同じなかまだから」での光夫に対する対応は、
「公正」でしょうか、「公平」でしょうか。
光夫がチームに入ることで、負ける可能性が高まる。
ならば、「入れない」という選択肢は、
勝ちという目標に向かう上で、適切な選択であると言えます。
つまり、「光夫を入れない」という選択肢は、公正だと言えます。
しかし、光夫の立場に立ってみるとどうでしょうか。
「けがをしたけど参加はできる」とマイナスを背負っても参加する気持ちがあるのに、
クラスのみんなが自分の気持ちを聞かずに「入れない」という選択をとろうとしています。
光夫の立場からすると、公正でないと言えるでしょう。
また、みんなの立場からしても、光夫の立場からしても、
「公平」ではないと言えるでしょう。
まとめると、「公正」はある意味成立、「公平」は不成立という教材です。
「社会正義」という言葉が内容項目にありますが、これについてはまた今後記事にします。
今日は公正、公平について考えましょう。
公平とよく似た言葉に、『平等』という言葉があります。
公平と平等、この2つの違いはかなり長い説明が必要になりますが、簡単に説明します。
簡単に言うと、
『公平』は状況や集団の特性の基準によって決まる平等、
『平等』はいつでもどこでも同じ基準によって決まる平等です。
公平は、一定の事情を加味して考えられている「平等」ということです。
先ほどのアルバイトの例では、「アルバイトをして仕事をした人」という基準で、
公平さが決まっていますよね。
平等の例を出します。
お兄ちゃんは、6年生ですから宿題がたくさん出ます。
対して、弟は宿題は少なくて早く終わるので、
長い時間テレビを見たりゲームをしたりできます。
そこでお兄ちゃんは言います。
「弟は宿題が少なくてずるい!」
どうでしょう?
お兄ちゃんは、なんとなく不適切な発言をしている気がしますよね。
でも、「平等」という観点から見ると、適切な発言です。
子どもは子ども。人間ということには変わりない。
宿題の量は同じであるべきだからです。
しかし、世の中のお兄ちゃんはあまり「宿題が少なくてずるい」なんて言いません。
それは、「6年生だから」「お兄ちゃんだから」という基準を意識させられているので、
「公平」という観点から、言わないのです。
平等は、分解すると2つの平等があります。
『絶対的平等』と『比例的平等』です。
『絶対的平等』は、いつでもどこでも同じ基準で人を見ること。
先ほどの例だと、「弟は宿題が少なくてずるい」という発言が認められる視点です。
対して、『比例的平等』は、その子の実態や状況に合わせた基準で判断することなので、
「公平」とイコールになります。
では、そうなると『絶対的平等』と『比例的平等』はどちらを求めるべきなのか。
という疑問が浮かびます。これは、明確な答えがあります。
時と場合によるです。
時には絶対的平等、時には比例的平等を使い分けながら、
相手を思いやり、自分を守り、ということを繰り返しながら、
個の集団として集団・社会が形成されているのです。
では、この視点で「同じなかまだから」を考えてみましょう。
『絶対的平等』と『比例的平等』どちらの視点が強く出ているでしょうか。
じっくり考えたいところです。
この教材では、両者が混在しています。
ひろしは、『比例的平等』で光夫をできればチームに入れたくなく、勝ちたいと思っています。
とも子は、『絶対的平等』と『比例的平等』の狭間で揺れています。
結局『絶対的平等』が勝ちますね。
光夫は、『絶対的平等』の立場です。
自分はクラスの一員なのだから、チームに入って当然。
指のけがぐらいは、なんとも思わない。
この3つの立場が混在し、どれも正解に思えるから「難しい」とこの教材は感じるのです。
しかし、果たして光夫を入れることは正解なのでしょうか。
光夫は運動能力が劣り、チームに入ると負ける可能性が高いです。
そうであるならば、チームに入れないという選択肢は、
ある意味では正解と言えます。
しかし、それをスッキリと正解とは思えないのはなぜか。
それは、「みんな仲良くしましょう」という学校では通過儀礼・暗黙の了解になっている正義が、
みんなの心の中にあるからです。
その正義は、「絶対的平等」ですね。
いつでもどこでもみんな同じように仲良く接するべきだ、という立場です。
しかし、実際の生活場面ではそうはいきません。
仲のいい人もいれば、話したくもないぐらい嫌な人もいる。
大人の世界でもそうです。
みんなと同じように接するなんて聖人君子のような人は、
そうそういません。
そうでなければ、自分の精神衛生上、よくないからです。
思ってもないことを言われて傷ついたり、
余計なトラブルに巻き込まれないように、
自然と自己防衛をして、接するべき人を決めているのです。
これは、いい・悪いという観点ではなく、
人間の本能ですから、どうしようもありません。
学校で教える「絶対的平等」と、勝つという「比例的平等」、
この2つが揺れ動く、とってもイイ教材ですね。
この2つの言葉は、子どもには出しません。
理解しえない言葉だからです。
そして、この2つのどちらがよいかと答えを出すことがゴールではなく、
それぞれの立場に立って考え、
「立場によって考え方が違う」ということを具体的に子どもが実感することが、
授業では求められます。
つまり、光夫、とも子、ひろし、クラスの他の子、よし子など、
それぞれの立場からどう思うかを具体的に考えることが、この授業の在り方として大切です。
「とも子がよし子の手紙から得た気付きについて触れなければ」と思うでしょうが、
あまりそれは重要ではありません。むしろ無理に触れなくてもいいです。
物語の話は、教室を中心に展開されており、
とも子の心はその1要素でしかありません。
そのとも子の気付きは、触れてもいいですが大きく時間を割くほど重要ではないからです。
言葉を選ばずに言うと、よし子の手紙をピックアップして展開すると、
勇気を出して正しいことを言うことが正解。みんなそんな人になりましょうね。という、
できそうもない理想を掲げて授業が終わってしまいます。
子どもたちがみんな、正しいことを言っていてはクラスは、楽しくて平和なクラスと言えるでしょうか。
私はそうは思いません。
子どもも、大人と同じでみんな折り合いをつけながら、
毎日生活をしているのです。
正論をぶつけたところで、
「知っている。でもできない。」という
これまでの道徳の負の部分にまっしぐらになってしまいます。
2 発問例
・光夫は、チームのことを考えているから、いい人ではないか?
・光夫が入った後の「台風の目」は、勝ったのだろうか。
・光夫を入れた時と入れない時のちがいはなんだろう。
・よし子に辛い思いをさせている人と同じ気持ちの人は、とも子の周りにもいるだろうか。
・「光夫はけがをしているのだから、出ない方がいい。」というひろしの判断は正しいのではないか。
・この話の中で、誰と友達になりたいですか?
・ひろしは悪い子だろうか?
・とも子のようにいつも正しいことをみんな言ったらどうなるか?
板書は、それぞれの人物を関係図にまとめるといいでしょう。
それぞれ矢印で結び、その意味を考える活動は、
それぞれの立場の思いを考えることにつながります。
矢印の意味を考えて言語化してみると、新しい発見や気付きがあるかもしれません。
3 まとめ
間違っても、言葉にしたくないのは
・正しいことは勇気を出して言う
・みんな平等だとみんないい気持ち
という言葉です。
こんなことは、子どもたちはすでに知っているし、
知っているけどできないのです。
45分かけて、このまとめになるのであれば、
道徳の授業はする意味がありません。
・知っているけどできない。なぜだろう?
・どんな心が自分の行動をできないようにしているのだろう?
というところから授業がスタートすると、深い部分まで到達できます。
まとめの言葉は、例えば、
・相手の立場に立って、何が正しいかを考えるといい
・自分の考えと相手の考えが違うときは、話し合って決める
・「みんな同じ」は、時と場合によって変わる
などでしょうか。
こんな要素の言葉が子どもから出てきて、さらに子どもの言葉を使えるといいですね!
はい、ということで、
今日は『C 公正、公平、社会正義はこう考える!』というテーマでお話ししました。
ここまでの長文を読んだあなたは、道徳マスターですね!