こんにちは。
今日は、『教師は「全て使いたい症候群」』というテーマでお話しします。
前提として、この「全て使いたい症候群」というのは、
私が自分の授業でずっと感じていたことです。
私の弱点だとずっと思っていました。
しかし、他の先生と話していて、他の先生にも当てはまる部分があるのだと気付き、
こうやって記事にすることにしました。
今日は、昔の私に向かって書きます。
全国の先生を批判するわけではなく、
こうした方がよりよい授業になるのではないか。
そんな立場でお話しします。
でも、当てはまる人は多いかもしれません。
目次です。
1つずつ解説します。
1 教師の「全て使いたい症候群」とは?
「全て使いたい症候群」とは何でしょうか。
私が考えた造語です。
これは、
授業の準備で作った短冊・拡大図などの挿絵を、
授業の時間内に全て提示しないと気が済まないこと
です。
特に、研究授業や、資料の多い社会科で見られます。
時間をかければかけるほど、多くの子どもの思考のパターンを予想できるので、
それに合わせて教科書の絵を拡大印刷したり、
発問を短冊に書いて提示しやすいようにしたり、
ワークシートを拡大して同じものを書きながら進められるようにしたり、
グラフを用意したり・・・・
これらは、悪いことではありません。
授業の準備の際に、これらを考えるのは当然の支援ですし、
授業中に行うのは問題ない、というか大正義ですから、これを熱心にやるべきでしょう。
しかし、私が言いたいのは、
その準備した支援の量を、授業中に全て消化するんですか?
ということです。先ほどもお話ししたとおり、教師は「全て使いたい症候群」です。
準備したものは全て使いたくなります。
準備した挿絵や短冊は、
あくまで教師の予想という仮説の上で準備したものです。
仮説というものは、あくまで仮ですから、
現実はそうなるとは限りません。
ビジネスの世界では、仮説が違ったら仮説を見直します。
しかし、教育の世界では、教師が準備した教材によって、
「子どもの仮説に寄せていく」という流れが行われているような気がします。
教師の予想という仮説は、ある意味ではエゴです。
その仮説に子どもの姿を当てはめようとするのは、
エゴに強引に押し込めるという最悪な姿ではないでしょうか。
「子どもの思考」という、目に見えない、表出しにくいものだから、
このような虐待とも言える思考の強制は、
日々行われているように思います。
2 「努力は報われる」は間違い
日本人の美徳として「努力は報われる」という考えがあります。
この考え自体は、昔から語り継がれてきたコトですし、
私もこの言葉に何度も助けられた人間ですので、否定はしません。
危険なのは、いつも「努力すれば結果が出る」と思ってしまうことです。
さらに、教師は「時間をかければいいものができる」とも思っています。
つまり、時間をかけて努力をすればいい授業ができると思っているし、
短時間で授業の準備を済ませたり、これまでの過去の自分の教材を使うのは、
罪悪感を感じることがあります。
これは、大きな間違いです。
10分かけて1という成果が出たら、
100分かければ、その10倍の成果が出るのでしょうか。
今の私は、そうは思いません。
「時間をかけて、努力しているアピールをしている」というパフォーマンスに見えます。
先人たちが実践してきた功績の上に立つことは、悪ではありません。
先人たちの知恵の上に私たちは立っているから、便利な生活ができているのです。
現代に生きる私たちの役割は、その先人たちの功績の上に立ち、
現代に即した形や表現方法に進化させていくことでしょう。
「車輪の再発明」という言葉があります。
「広く受け入れられ確立されている技術や解決法を(知らずに、または意図的に無視して)再び一から作ること」を指すための慣用句。
車輪の再発明は、自ら先人と同じ苦労をしてその歴史を体感するという意味では、何かしらの学びがあるでしょうが、
忙しい現代人は、車輪の再発明をしている場合ではありません。
要するに、車輪の再発明は、時間の無駄ということです。
しかし、この「車輪を再発明」していることに、教師は気付いていません。
隣の人は、同じようなワークシートを作っています。
同僚の先生に聞いたら1分で解決することを1週間悩んでいます。
ネットで検索したら、素晴らしい指導案があるのに、変なプライドからあえてそれを使いません。
これでは、教師の多忙感はあと1000年は続くでしょう。
時代に合わせて変化していける人が必要です。
動画投稿サイトに、多くの授業動画があります。
ワークシートや実践はネットにたくさん転がっています。
あなたの悩みの解決方法は、もう本として出版されています。
今、モヤモヤと悩んでいるそれは、
もうとっくに先人が通ってきた道なのです。
それを、「1人でできるから」と変にプライドをもって、
人に頼らないから、忙しいし、疲れるし、
日々イライラしてしまうのです。
「努力は、報われないときもある」と覚え直し、
人に頼ること、
人の実践を真似ること、
をするだけで、あなたの仕事はゼロを1つとったレベルで、
大きく楽になっていくでしょう。
3 適切な時に適切なものを使う
では、準備したものを全て使わなければ、どうするのが正解なのでしょうか。
それは、「適切な時に適切なものを使う」です。
・発問が書かれた短冊は、授業中に変えられません。
子どもの思考の流れから、別な発問にした方がいいと感じられることがあります。
そのときは、事前準備の労力を捨てて、
新しい発問を黒板に書きます。
・挿絵を提示して黒板に貼りましたが、
子どもの意見が想定以上に広がったので、挿絵が邪魔担ったら
外してそのスペースに板書します。
・ワークシートは、そもそも使いにくいかもしれません。
・グラフは、別な示し方の方がよいかもしれません。
このように、子どもの思考や意見の流れを見ながら、
必要なものを適切に出すことが、プロの教師の仕事です。
授業前には支援の引き出しを用意し、
授業中には引き出しを開けるべきときに開けます。
全てを授業中に開ける必要はありません。
ピンときませんか?
例を出しましょう。
あなたは、ピザの注文をするとします。
あなた:「シーフードピザ、Lサイズ1枚お願いします。」
店員:「シーフードピザですね、かしこまりました。ご一緒にお飲み物はいかがですか?
他にも、ミックスピザもありますし、マルゲリータ、バジルピザ、フルーツピザもあります。
最近キャンペーン中でして、カニのたっぷり入ったクラブスペシャルがあります。
2枚頼めば1枚半額です。以前のキャンペーンは、エビをたっぷりのせたエビスペシャルでした。
こちらも、現在も注文できますので、・・・・・」
もういいよ!となりませんか?
必要なときに必要なものを出す。
それが、プロの仕事なのです。
手の内を全てさらけだすのは、プロの教師とは言えません。
ちょっと含みや残りがある方が、奥深さを感じさせて、
余裕のあるように見えることにもつながります。
「そんなこと言ったって、
授業中に子どもの状況を見ながら
流れを変えるなんて、ボクにはできません。」
残念ですが、それはお金をもらって教育をするプロの発言ではありません。
できないならば、できるように気持ちを向けないといけません。
子どもには「挑戦しなさい」と言うのに、
あなたは成長しないんですか?
お金をもらっている以上、
最高の授業を常に心がけるのが、プロではありませんか?
医者が、「いやー、この手術はぼくには難しいですね。」と
発言したら、あなたは許せますか?
弁護士が「流れを読むなんて難しいので、全部台本で進めてイイですか?」と
発言したら、信用できますか?
レストランの店員が、
「メニュー全部覚えられないので、みなさん、ハンバーグ定食かエビフライ定食のどちらかにしてください」と
発言したら、怒りませんか?
教育も同じです。
相手は子どもなので、そこまで言葉にして先生に向かってこないだけです。
だって、先生に嫌われたくないですから。
子どもは先生のことが好きですから。
そんな好きな先生が、授業が授業が上手だったら、
もっと好きになると思いませんか?
今日の話は、昔の私にしました。
あのときの自分に、こうやってガツンと言ってくれる人がほしかったです。
私のような思いをしている人がいれば、
この記事を読んで、
素敵な先生への道へ舵を切って、進み始めて欲しいと思います!