こんにちは。キッシュです。
今日は、『道徳の授業はきっかけに過ぎない』
このテーマでお話をします。
タイトルのとおりですが、
道徳の授業はあくまできっかけにすぎません。
小学生は7才~12才の年齢層です。
ざっくり言うと10年前後生きてきた子供達の集団です。
10年というと、人格が形成されるのに
十分すぎる時間です。
その10年という月日で形成された価値観が、
たった45分の授業で価値観が変わるはずがないのです。
いや、むしろ変わるべきではない、
と言うべきですね。
では、詳しく解説します!
①10年は長い
10年という月日はとても長いです。
10年の中で、親・地域の人、これまでの担任の先生など、
身の回りの大人や同世代、下の世代との関わりから
いろんなことを教えてもらって、学んで、
その子の考え方という価値観が育ってきました。
その確立された価値観が、45分で変わるはずがないんですよ。
考えてみたら、自然なことですよね。
「先生、この授業で考えが変わりました!」と子どもが言ってきたら、
ちょっと私は疑いますね。
本当にそうか?って。
確かにね、「よくできた授業だったなーっ。」て
授業者が思うような会心の授業で
さらに子どもが
「今日の授業は面白かった。」
「今後の人生にも関わるような、大きく考え方が変わる授業だった。」
なんて言ってくれたら、嬉しいでしょうし、
それは授業者冥利に尽きると思います。
でも、そんな授業を年間35時間できますか?
もし、35回の授業で毎時間、そうなっていたら、
子どもは考えは変わりまくりですよね。
なんかそれって嘘くさくないですか?
「でも、子どもだから、考えが柔軟だし、変わりやすいでしょ。」
と思ってますか?
子どもも大人も、
自分という個性を大事にしたい気持ちは一緒です。
大人と同じで、子どももプライドはあります。
自分の個性、考え方、価値観は
生きてきた年数に関係なく、
自分の考えに向き合ってきた時間が生み出した産物なのです。
②45分で子どもは変わらない
だから、道徳の授業は、
考えを変える時間ではなく、
今後の人生をよりよいものにする
考えの入り口、きっかけに過ぎないのです。
何が言いたいかというと、
『たった45分で、子どもの考えを大きく変えようとは思わないこと』です。
よくある実践が、
「親切なら、〇〇をすることが大事だから、私は〇〇をしていく。」
なんていう風に宣言すること。
終末の場面でよく見ることがあるんですけど、
行動を宣言させる活動は、
「この授業で考えが変わったでしょ?
その変わった考えで、新しい行動を宣言しましょう。」
つまり、「考えを変えましょう。」と言ってるのと同じことなのです。
道徳は、行為を考えるのではなく、
行為を生む心を考える教科です。
それを覚えておいてくださいね!
③解決策
では、どうすればいいのか。
解決策をお伝えします。
まずは、くりかえしますが、
①たった45分で、子どもの考えを大きく変えようとは思わないこと
そして、終末では、
②行動を宣言させないこと
③子どもの意見をめっちゃ聞く
これを大切にしてください。
②行動を宣言してはいけないのは、
道徳は、行為を考えるのではなく、
行為を生む心を考える教科だからでしたね!
③子どもの意見をめっちゃ聞く
多くの教師は道徳の授業で
「社会的に正しい道徳観を教えなければならない」
と思ってしまっています。
それは間違ってはいませんが、
道徳科の本質の部分ではありません。
道徳は、教材を通して自分の心の中を振り返り、
自分が気付いていなかった心に気付く教科です。
その過程で、友達の考えを聞いたり、
自分の考えを書いて記録したりするのです。
教師が教え込む教科ではないのです。
だから、道徳の時間は、
子どもが自分自身のことを振り返ることができるような
流れや発問、導入、まとめを考えることが
適切な教材研究です。
そして、実際の授業で大切なことが、
③子どもの意見をめっちゃ聞くことです。
傾聴とも言えます。
子どもの意見を聞く。
その教師の姿に子どもは安心します。
安心すると、
もっと考えたくなります。
考えると、自分自身のことをもっと深堀します。
それが、道徳科の醍醐味なのです。
そのとき、
子どもは他の人から言われて行動する
外発的な動機ではなく
自分で気付いて何かせずにはいられないという
内発的な動機で行動をし始めます。
その気付きや学びが、
授業が終わっても続き、
生活で活かされるのです。
くりかえします。
道徳の授業はあくまできっかけです。
いつもいつも、大幅な考えの変革は起こりません。
授業者は、
①たった45分で、子どもの考えを大きく変えようとは思わないこと
②行動を宣言させないこと
③子どもの意見をめっちゃ聞く
この3つを大切にして、
子どもの気づきの種をまき続けましょう!